Twitter辺りを最近彷徨っている。そこで、怒りに任せて言論の自由を訴えた所、普段は分単位で誰かが囀っている画面がピタリと止まった。暫くして「お天気コメント」がぽつり、それからは又、何も無かったかの如く、お喋りが続く。
何に立腹をしたかと言えば、知り合いの方のブログの記事が、一晩にして消去されてしまったと言う暴挙に対してである。私は運良く前の晩、その記事を読む事が出来たが、彼は単に、と或る日本の有名な俳誌の記事に対し、個人的な意見・批判を述べた迄である。その批判が間違っていると思うなら、本人にメッセージを送るなりすれば良い。別に破廉恥な内容な訳でも無く、規則に反した記事だとは到底言い難い。
そう言う卑怯な手段が通用すると言う事が、余りに日常茶飯事になって居て、私の異様な怒りに周りは戸惑ったのかも知れない。夫に話した所、オーストリアの元スポーツ・マネージャー Stefan Matschiner はもっと「賢く」卑怯だったと説明し始めた。選手が大会で服用したい最新の薬物を直前に試し、その尿検査を公のドーピング検査実験室に賄賂を渡して「未だ検出されないかどうか」実験させた。検査が未だ、その新薬物を検出出来ない事を選手に保証し、そうして獲得した賞金の一部を懐に収めていた。こうして明るみに出た今、二度と復帰出来ないのは当たり前なのだが、彼はそうして勝った選手の名前、賄賂を受け取った検査所の試験官の名前を挙げる度、警察側と駆け引きが出来る。お互いがお互いの手を汚して居ると言う仕組みを、上手く見抜いて居たと言える。
自分はかなりのスポーツ音痴であるから、その野心が理解出来ないのかも知れない。だが、ウィーンでホルンを学び始めた時、かのウィーン・フィル奏者の中にも、精神安定剤を飲まなければ舞台に上がれない人や、怖れが無くなる迄呑んで、真直ぐに座る事も出来なかった人が居ると知って唖然とした。たまたま、私が師事した方は他の多くのウィーン・フィル団員と異なり、ウィーン郊外ののんびりとした所で生まれ育ち、先祖・親兄弟が既にウィーン・フィルで演奏していると言う様なしがらみは全く無く、ユーモア・好奇心に溢れる自由な精神の持ち主だった。演奏スタイルも少し他と異なり、ウィーン・フィルのファンからは多少軽視される感があったが、結局ここが一念場と言う時、自然体で吹いてのけたのは彼だけだったと言っても過言では無い。
「怖い」と言う事を知らない訳では無い。知っているからこそ、そこから一時的な手段で逃げる事の方がもっと怖いのだ。偶然、その手段で切り抜けたとする。その次にその手段が通用しなかったらどうする?その薬が無いから演奏できません、素面だから舞台に上がれませんと言えない窮地に立つ前に、私なら楽器も楽譜も売り払うだろう。
正直に、真正面から勝負出来ない後味の悪さも、習慣になれば薄れるだろう。保身と言う魔は、塵埃を共に呼吸しても気が付かぬ如く、私達の中に忍び入る。
Tags: 保身
Tags: 保身


